水曜日のダウンタウンって面白いよね
おかげでこのざまです。
今日は久々に(?)なろうのお気に入りの小説を一つ紹介しましょう。
時間もネタも無い時の奥の手とか言わない
新たなる古色蒼然。少年はいま聖騎士となる。
最果てのパラディンI 死者の街の少年 (オーバーラップ文庫)
- 作者: 柳野かなた
- 出版社/メーカー: オーバーラップ
- 発売日: 2016/03/29
- メディア: Kindle版
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というわけで紹介するのはこちら、『最果てのパラディン』です。
書籍化されてますし売れてますしで皆さんもうご存知ですよね。
え? 知らないって?
簡単なあらすじはこちらをご覧ください。
え? あらすじも書影も紹介して、これ以上何を書くのかって?
決まってますよ。魅力の紹介ですよ。
これは、人によって捉え方の異なる物語だ。
たとえばある人は、これを成長の物語と思うでしょう。
またある人は、これを勧善懲悪の冒険物語だと思うでしょう。
またまたある人は、これは家族愛の物語だと思うかもしれません。
もしかしたら多くの人が、これは「なろう」でウケる要素の詰め合わせにすぎないと見るかもしれない。
そのどれもが正しい。最果てのパラディンは、見る人によって姿を変える万華鏡だ。
これは読者自身の経験や、あるいは読み方、読む姿勢によっても関わってくると思っている。こんなこと言うと他の作品全てにも言えるんだけど。
たとえば勧善懲悪。これはこの作品を『痛快娯楽小説』と思って読んだ場合ではないでしょうか。
たとえば家族愛。これは主人公だけでなく、その周囲にも自己投影してしまったからだと考えられます。
たとえば「なろう」の詰め合わせ。これは書籍を手に取る前から「なろう」発の物語だという先入観が強くそう思わせているかもしれません。
(「なろう」が生まれるより遥か以前から、というかもはや神話のレベルに遡っても、主人公がある程度の特権=チートを持っている物語は枚挙に暇がない。にもかかわらず主人公がある程度の優遇を受けていた場合にチートだ「なろう」だというのは先入観によるものではないだろうか?)
もっとも、多くの文学作品やら小説やらゲームやらの要素が含まれている以上、そう思ってしまうのも仕方ないといえばそうなのですが。
そして、たとえば成長。
これまでの人生において。挫折を味わった人間にとって、これは最も身近に感じるテーマかもしれません。
主人公は物語が進むにつれ肉体的に成長していきます。家族にも恵まれます。それは正しくチート的で、理想的な成長の様子です。
ですが後半、主人公が苦難に陥った時。
ごぽりと、濁った沼から「それ」が這い出てくるのです。
それに呑まれることなく打ち勝ち、苦難に立ち向かおうとするその姿こそ、真の「成長」と呼ぶべきではないでしょうか?
そしてその「成長」は、どんなチートよりも価値あるものではないでしょうか?
え? これだとそんなに読む気になれないって?
では要素だけ挙げていきますね。
銭ゲバ老獪、知謀冴えわたるおじいちゃん。
優しすぎて母性溢れすぎかと思うくらい慈愛に満ちたお母さん。
いやもう作中一美人なんじゃないですかねハーフエルフさん。
武骨で、無口で、剣技に優れた冒険者さん。
笑い上戸で軽妙洒脱、けれど絶対的王者の資質を持つ王弟殿下。
臆病なようで、やっぱり誰より勇敢なドワーフさん。
飄々としているようで、芯は譲らぬ怪盗さん。
尊敬の対象であり、蟲惑的な高級娼婦さん。
とりあえずこんな感じのメンバーが入れ替わり立ち替わり、主人公と共に物語を紡いでいきます。いや、これ以外にもたくさんいますし、肝心な神さまを載せて無かったりするんですが、載せるとネタばれ感溢れるのでこんなところで。
お暇な方、時間の余っている方、ファンタジーが好きな方。
まずはweb版をお読みください。きっと好きになれると思います。
ちなみに私は第四章十一話が一番好きです。
止めろ、あの話は俺に効く。