のあしぐまのぐだぐだ投資日記

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水曜日のダウンタウンって面白いよね

 おかげでこのざまです。

 今日は久々に(?)なろうのお気に入りの小説を一つ紹介しましょう。

 時間もネタも無い時の奥の手とか言わない

 

 

 

 

新たなる古色蒼然。少年はいま聖騎士となる。

 

 

最果てのパラディンI 死者の街の少年 (オーバーラップ文庫)

最果てのパラディンI 死者の街の少年 (オーバーラップ文庫)

 

 

 

 というわけで紹介するのはこちら、『最果てのパラディン』です。

 書籍化されてますし売れてますしで皆さんもうご存知ですよね。

 え? 知らないって?

 

 簡単なあらすじはこちらをご覧ください。

ncode.syosetu.com

 え? あらすじも書影も紹介して、これ以上何を書くのかって?

 決まってますよ。魅力の紹介ですよ。

 

これは、人によって捉え方の異なる物語だ。

 

 たとえばある人は、これを成長の物語と思うでしょう。

 またある人は、これを勧善懲悪の冒険物語だと思うでしょう。

 またまたある人は、これは家族愛の物語だと思うかもしれません。

 もしかしたら多くの人が、これは「なろう」でウケる要素の詰め合わせにすぎないと見るかもしれない。

 そのどれもが正しい。最果てのパラディンは、見る人によって姿を変える万華鏡だ。

 

 これは読者自身の経験や、あるいは読み方、読む姿勢によっても関わってくると思っている。こんなこと言うと他の作品全てにも言えるんだけど。

 たとえば勧善懲悪。これはこの作品を『痛快娯楽小説』と思って読んだ場合ではないでしょうか。

 たとえば家族愛。これは主人公だけでなく、その周囲にも自己投影してしまったからだと考えられます。

 たとえば「なろう」の詰め合わせ。これは書籍を手に取る前から「なろう」発の物語だという先入観が強くそう思わせているかもしれません。

(「なろう」が生まれるより遥か以前から、というかもはや神話のレベルに遡っても、主人公がある程度の特権=チートを持っている物語は枚挙に暇がない。にもかかわらず主人公がある程度の優遇を受けていた場合にチートだ「なろう」だというのは先入観によるものではないだろうか?)

 もっとも、多くの文学作品やら小説やらゲームやらの要素が含まれている以上、そう思ってしまうのも仕方ないといえばそうなのですが。

 

 そして、たとえば成長。

 これまでの人生において。挫折を味わった人間にとって、これは最も身近に感じるテーマかもしれません。

 主人公は物語が進むにつれ肉体的に成長していきます。家族にも恵まれます。それは正しくチート的で、理想的な成長の様子です。

 ですが後半、主人公が苦難に陥った時。

 ごぽりと、濁った沼から「それ」が這い出てくるのです。

 それに呑まれることなく打ち勝ち、苦難に立ち向かおうとするその姿こそ、真の「成長」と呼ぶべきではないでしょうか?

 そしてその「成長」は、どんなチートよりも価値あるものではないでしょうか?

 

え? これだとそんなに読む気になれないって?

 

 では要素だけ挙げていきますね。

 冷静沈着、バーサーカー脳筋お父さん。

 銭ゲバ老獪、知謀冴えわたるおじいちゃん。

 優しすぎて母性溢れすぎかと思うくらい慈愛に満ちたお母さん。

 いやもう作中一美人なんじゃないですかねハーフエルフさん。

 武骨で、無口で、剣技に優れた冒険者さん。

 笑い上戸で軽妙洒脱、けれど絶対的王者の資質を持つ王弟殿下。

 臆病なようで、やっぱり誰より勇敢なドワーフさん。

 飄々としているようで、芯は譲らぬ怪盗さん。

 尊敬の対象であり、蟲惑的な高級娼婦さん。

 

 とりあえずこんな感じのメンバーが入れ替わり立ち替わり、主人公と共に物語を紡いでいきます。いや、これ以外にもたくさんいますし、肝心な神さまを載せて無かったりするんですが、載せるとネタばれ感溢れるのでこんなところで。

 

 お暇な方、時間の余っている方、ファンタジーが好きな方。

 まずはweb版をお読みください。きっと好きになれると思います。

 

 

 ちなみに私は第四章十一話が一番好きです。

 止めろ、あの話は俺に効く。