ゾンビランドサガは夢の物語だ
焼き鳥一番
とりめし二番
三はサラダで四い健康!
五つもニコニコ、鳥で満腹!
新鮮美味しい楽しい! 皆で行こう!
ドライブイン 鳥!(挨拶)
ゾンビランドサガは佐賀が舞台のアイドルアニメである!
一言で纏めちゃうとこうなるが、まずはこのアニメを考察していきたいと思う。うるさい読め。
ごめん。ただのオタクの語りだしクソ長くなったからやっぱり読まなくても良いよ。
目次だけ見ればだいたい分かるようにするね。
目次だけ読んでね。(低姿勢)
代わりにアニメを観ろ!
特に七話は三回観ろ! 三回だぞ三回!(一転攻勢)
テーマはおそらく「夢」
ゾンビランドサガのテーマはおそらく「夢」だろう。これが私の推論であり結論である。
まずこの点を踏まえながら論を進めていきたい。
佐賀を盛り上げるアイドルグループ「フランシュシュ」。
伝説の特攻隊長 二階堂サキ
伝説の昭和のアイドル 紺野純子
伝説の花魁 ゆうぎり
伝説の天才子役 星川リリィ
伝説の平成のアイドル 水野愛
伝説の 山田たえ
そしてゾンビ1号 源さくら
羅列するだけでも個性溢れた面々だが、主人公はゾンビ1号の源さくらである。
山田たえはひとまず置いておくが、主人公の源さくらだけが「伝説」ではないのである。彼女だけが普通の一般人だったのだ。
主人公の彼女は毎話冒頭で前回のお話について自分なりに色々と語ってくれるのだが、二話冒頭でも言っているように「アイドルになりたい」という夢と「きっと素敵な日常が待っている」という希望に溢れた少女である。
だからゾンビランドサガは「夢を与える」アイドルものなのであるし、そのアイドルになるという「夢」を抱いていたさくらが主人公として選ばれたのだと思われる。
素人の主人公からみる「夢」というテーマ
最初からアイドルだった者を据えなかった理由。
それは素人を据えた方が訴求力が強いからだ。
人間は感情移入する生き物であり、感情移入すればするほど愛着が深まるのは言うまでも無い。
ましてやアイドルともなれば視聴者≒ファンから愛されなければならないのは自明であろう。
さらに言えば脚本的にも素人の成長物語と言うのは数多く、非常に作りやすいことも挙げられる。
また、そうした視点から見るとキャラの配置にも見えてくるものがある。
主人公の憧れのアイドルとしての水野愛と紺野純子
(この二人をセットで語ってしまうのは申し訳ないが、七話の印象が強すぎる)
主人公を引っ張る存在としての二回堂サキ
主人公の年下役としての星川リリィ
主人公の年上役としてのゆうぎり
主人公(ツッコミ役)の相方(ボケ)としての山田たえ
このように、主人公に足りないものを補うための存在であると思われる。(少々牽強付会な気が自分でもするが)
また、年下年上と纏めたものの、彼女たちは二人とも芸能で身を立てていたプロである。
恐らくこれからの回で何がしかを主人公に伝えることになるのだろうと思われる。
巽幸太郎は最後まで謎なままだと思われる。
あの人が主人公を轢いた犯人なんじゃねえかな……(唐突な名推理)
こんな風に一つ一つを分解していくと、このアニメはテンポもよくプロデューサー役の宮野真守さんのテンションの高い演技に誤魔化されてしまうが、「夢」という王道的なテーマを伝えるためにあらゆる工夫を凝らして作られたとても丁寧な作品なのである!(強調)
ギャグが面白かったりキャラが可愛かったりしてとてもそんな風に思えないけれども!(私は水野愛ちゃん推しです。紺野純子さんも好きです。っていうか皆好きです)
さて、一話では開幕早々トラックに轢かれて死ぬという視聴者の度肝を抜く演出で話題を攫ってくれた。
開幕デスメタルは何度見ても衝撃的だ。SNSで人気になるのも分かる。
そんな衝撃的な印象を視聴者に植え付けた彼女だが生前の記憶を全て失ってしまう。
自身の名前も謎のアイドルプロデューサーこと巽幸太郎から教えられるほどだ。
(失っているのはエピソード記憶。いわゆる個人の思い出などであり、日本語が分からないなどということはない)
一話のデスメタルライブを通して、主人公は記憶をなくしたままながらもステージに立つことに「何か」を見出した。
二話では他の仲間からなぜ大人しくアイドルをやろうとするのかを問われる。
彼女はその際にデスメタルライブを通して得た「何か」をもう一度得たいからと返した。
そして二話の名場面であるラップバトルだが、彼女はそこで自分の意思を見せつけ仲間に認められる。
三話では前回(紺野純子と水野愛を除いた)仲間に認められたことで遂にグループ名が決まる。フランシュシュだ。
これは記憶が戻っていない山田たえの発案(?)によるもので、私は彼女の記憶が戻るのは最終話かもしれないと思っている。
(こういう予想すると外れる)
そして三話では挿入歌であり、多くの場面で用いられる「目覚めRETURNER」によるゲリラライブが唐突に行われることとなる。練習を続ける中で主人公は諦めかけるが、とあるきっかけで「何か」を得たいという意欲を取り戻す。
彼女は素人だが、諦めないという資質を持っているのだ。
また、三話で印象深いのは昭和のアイドル紺野純子の「未熟なパフォーマンスを見せるなんて」という言葉に対して平成のアイドル水野愛が「未熟でも本気なら伝わる」と返した点である。何気ない一言だが、これは三話で伝えたかったことでもあるだろう。
その最たる場面がゲリラライブだろう。主人公は結局練習不足により途中で歌詞を忘れてしまうが、紺野純子と水野愛が途中参戦したことにより一人の少女を楽しませることができた。
未熟でも主人公のせいいっぱいの本気が伝わったことで二人の(元)アイドルを動かしたのだ。
ここにアイドルグループ「フランシュシュ」が真の意味で結成されるのだ。
アニメは三話まで観ろという言葉があるが、ある意味ではその王道通りに製作されているのであろう。ここで一区切りと言うわけだ。
それと同時に、主人公は「何か」が観客に感動、夢を与えることであることを(本人の中で言語化できているかまでは分からないが)感じとっているようにもみられる。
四話と五話はアイドルグループとしての成長を描いている。四話で印象深いのは足湯のシーンだろう。未熟ながらも頑張ろうとする主人公の意思にメンバーたちも賛同する。
ここでも「目覚めRETURNER」が用いられているが、三話のゲリラライブの時とは異なりきちんとパフォーマンスができているのも彼女たちの練習を感じさせる。趣深い。
五話はギャグ回と思われがちだが、彼女たちがこうした営業をきちんとこなしたことが知名度に繋がり、チェキ会と佐賀ロックフェスティバルへの参戦に繋がるのだ。これも立派なアイドルグループの成長であろう。アイドルマスターでも描かれているが、こうした地道な営業がアイドルを華やかな舞台へ押し上げる土台なのであろう。
神は細部に宿ると言うが、こうしたある種の鉄板的な面をギャグを踏まえながらも決して侮ることなく見事に描ききる点に製作スタッフの本気が窺えるというものだ。佐賀出身は何人いますか? 佐賀はそんなこと気にしない? なるほどなぁ……。
六話と七話はセットで扱う。
ぶっちゃけ六話鑑賞の一度目なんて酷いもんでしたよ。
純子ちゃんと愛ちゃんがケンカしちゃうなんて、ふぇぇ……。
ってなって、六話が終わった頃には久々にレイニー止めという単語を思い出しました(真顔)
展開的にもまさしくレイニー止めでしたね……。(感慨)
レイニー止めが気になりますか? マリみてを読め(唐突な百合推し豚)
さて、六話と七話では彼女たちのケンカが主であった。
原因は昭和と平成のアイドル観の違いである。
これはゾンビものとアイドルものという本作の二つの要素がとてもよくマッチして作品に反映されている優れた点ではないかと個人的に思っている。
やっぱりきちんとパスされたボールをシュートするのって大事だと思うんですよ。
六話での問題提起とそれによるケンカは、いわばジェットコースターが頂上に到達するまでを描いているのだ。
七話では「夢を与える」というアイドルの本質を巽幸太郎に語らせることで紺野純子を通して視聴者に伝えている。
そして七話のライブシーン。私的には伝説のライブシーンである。
ジェットコースターにおける頂上からの落下! そうした爽快感にも似ている! まったくゾンビランドサガは最高だぜ!
非常にどうでもいいが私はジェットコースターがとても苦手である。あんなもんに爽快感などない。(素)
うるせえ伝説だ。三回観ろ三回!(暴論)
実際に観てる人からするときちんと魅力伝えてなくない? と思うだろうが、敢えてである。
観たときのあの感動、奪いたくないやん。もうほんとに観て?
お願い。
アツクナレも良かったよね……。
あのシーンなんて感動っていうか……。
あの瞬間にはもう格好良さに思わずときめいたよね……。
キュンってなった人も多いと思います……。(乙女)
目覚めRETURNERはね、もうほんとに感動しちゃってね……。ほら、何回も観てると特にね……。
いままでの集大成という意味も考えると本当にね……なんかもう実在する地方アイドルを推してるオタと化してる感すらある……。
さて主人公はこのライブの後には感極まって泣いてしまうが、アイドルは笑顔を届けるものという自覚は既にある。
彼女はようやく夢の(煌めくステージに立って観客を魅了する)アイドルとしての一歩を踏み出したのだ。生前からの夢を叶えた瞬間とも言える。(おそらく)未だ自覚は無いが。
そうした彼女が最終的にアイドルに対してどのような思いを抱くのかについて注目しつつ観ていきたい。
歌から見る「夢」というテーマ
さらに別の視点からもこの作品のテーマ性が窺える。アイドルに重要な……そう、歌である。
フランシュシュの歌として(デスメタルを除けば)既出なのは
目覚めRETURNER
アツクナレ
仇花ネクロマンシー
光へ
の四つ(作中では二つ)だ。
オープニング曲である仇花ネクロマンシーにおける源さくらの語りからして
「死んでも夢を叶えたい、死んでも夢は叶えられる、脈はなくても突き進む」である。
もうこの時点でテーマは「夢」だろと言いたくなる。だってもう本人言ってるじゃんよ!
アツクナレは水野愛と紺野純子をテーマとした曲としか思えない(百合豚並感)が、歌詞の内容としては(アイドルに限らないが)前へ進もうとする夢と意欲を感じさせる曲だ。
光へは卒業式で歌われていそうな曲だ。他の曲と異なり、この曲だけはアイドル性ではなく、ゾンビと化したメンバーの感傷を描きつつもアイドルという「光へ」向かっていこうという風に歌われているように感じる。
しんみりとした感じがエンディング曲として扱われることでアッパー入ってる本編の後味として非常にいい。
佐賀錦の後に呑む嬉野茶みたいな感じだろうか(佐賀を推していくスタイル)
目覚めRETURNERなんてもう夢を届ける気満々、夢を叶える気満々である。
七話とかモブと一緒にグルグル手を回しちゃったからね? 泣くかと思ったわ。
具体的な内容? いやだからもう本編観てよ。何回書かせるの。
四つの曲への印象を纏めてみても、やはり今作のテーマは「夢」なのではないかというのが私の結論である。
御託はいいから観て欲しい
ここまで書いておきながら、ぶっちゃけこの考察に自信はない。
なぜなら私なんてお呼びもつかないような名考察を行える方々がネットにはいるのである。(断言)
理由? お前シスプリの考察サイト調べてみ? びっくりするでホンマ……。
なのでそういったサイトがあれば教えて頂きたい。(貪欲)
だって七話観て書きたかったけど他の人の見たら書けなくなると思ったんだもん!
クマも書いて少しでもゾンビランドサガのファンを増やしたかったんだもん!
観てよ!
地方アイドルとしてのゾンビランドサガ
ゾンビランドサガ自体の特徴として、地方アイドルという存在の活動に焦点を当ててリアリティのある描き方をしている点も興味深い。
アイドルアニメといえば言わずもがなアイドルマスターやラブライブ!やあんさんぶるスターズなど数多く存在するが、その多くが基本的には煌めく舞台から始まる。もしくはすぐに大舞台に立つことになる。
しかしながらゾンビランドサガは地方アイドル。
ゲリラライブは唐津駅だし営業はドライブイン鳥、アイキャッチに至ってはとことんまで佐賀推しである。
ブラックモンブランは美味しいから皆も九州に来たら食べてね。美味しいから。
七話にして煌めくステージに立つことになったが、それも佐賀ロックフェスティバル。骨の髄まで地方アイドルだ。
東京がナンボのもんじゃいという気迫すら感じる。意地でも佐賀から出ないこの感じ。流石である。
たぶん最終話まで出ない(何度も言うがこういう予想するとよく外れる)
アイドル同士の仲違いによるメンバーの脱退危機というのもアイドルの現実的な描き方をしているように思われる。
私はももクロを思い出しました。(小声)
今後の展開の予想
七話では紺野純子が車に轢かれることで、主人公の記憶が戻るきっかけの一つが描かれている。
またこれ以前にも水野愛を見た時も過去の記憶の断片を垣間見ている。
七話におけるアイアンフリルのライブシーンを見た時もこういった演出が取られている。
これらの事情およびたびたび頻出するストーカー新聞記者さん、そして二階堂サキ、水野愛、紺野純子のメイン回があったことから推察するに、これからは残りのゆうぎり姐さんと星川リリイ、山田たえのメイン回(話数的にもキャラ的にも、山田たえはギャグ路線かガチシリアス担当なのかいまいちよく分からないのでもしかしたらメイン回ないかも……)を行いつつ、主人公が記憶を取り戻すというような展開になると思われる。
全十二話とすると残り五話。どうなるか期待している。
(2話を二階堂サキのメイン回として扱っているが、もしかすると……?)
脚本的にはアイドルと観客との関係性などが描かれていくのかもしれない(八話予告から推定)
とりあえず佐賀から出ないと思う。(素)
終わりに
だいぶ長くなってしまったが、要点はたった一つだけだ。
ゾンビランドサガは夢と希望を与えてくれるから観ろ! 以上だ!